_

『ヤクザと憲法』の基礎知識~異様な時代・山之内幸夫・川口和秀・東海テレビ~

 ポレポレ東中野などで公開中の映画「ヤクザと憲法」は、東海テレビの製作で、テレビドキュメンタリーを再編集したものである。(放送は2015年3月30日)

 “東海テレビのドキュメンタリー”は、同局の「牡丹と薔薇」などの昼ドラがそうであるように、もはや、ひとつのブランドと化している。挫折した若者をあつめた野球チームの理事長が突如、取材者に土下座してカネの無心をはじめる「ホームレス理事長」、光市母子殺人などの弁護人・安田好弘を取材した「死刑弁護人」、戸塚ヨットスクールの現在を追った「平成ジレンマ」などがオンエア後に再編集、映画として公開され、評判を集めている。

 安田弁護士は世間様の道徳では悪とされ、戸塚宏は司法により悪と断罪された。悪というのは魅力である。それは同時にタブーに隣接する。東海テレビのドキュメンタリーはタブーにわざわざ近づき、世間様の道徳という凡庸を乗り越える。

 さらにいえば、これらには映画本来の悪所・見世物の魅力がある。番組は局の考査や局内の事情という制限があり、映画は映画で映倫審査という制限があるが、映画の方がゆるい。また映画版はDVDなどのビデオグラム化も配信もされないため、見るには劇場に行くしかないのである。

  そうした映画の新作で、第8弾となるのが「ヤクザと憲法」である。3月の放送告知の時点でtwitterなどでは話題となり、10月に映画のHP・ビラができると、8月の山口組分裂によるヤクザ熱もあってか、ドキュメンタリー映画としては異例の盛り上がりをみせる。また公開に合わせて、VICEで浅原裕久、マイナビで鈴木智彦による、プロデューサー・阿武野勝彦とディレクター・土方宏史のインタビュー記事が掲載されるなど、前評判を高めていく。そうしてむかえた1月2日の公開以来、満席続出と聞く。

  本作品は、東組清勇会の組事務所の取材と、山口組の顧問弁護士であった山之内幸夫の取材を中心に構成されている。東組清勇会とは、”東組”が一次団体で且つ指定暴力団のひとつであり、”清勇会”はその二次団体にあたる。川口和秀がその会長であり、同時に本家・東組の副組長でもある。また映画宣伝のメインビジュアルは、中心に川口和秀が配置されたものとなっている。指定暴力団の幹部が印刷されたビラが都内で配布されるのだから、悪所・見世物の期待感を否応なく高まる。

  川口和秀はある事件で長期間、刑務所に入っていた。作家・山平重樹がその事件を書いた著書のタイトルが「冤罪・キャッツアイ事件 ヤクザであることが罪だったのか」(筑摩書房・2012年)、この映画に主題があるとするなら、「ヤクザであることが罪なのか」だろうか。

  以下、「ヤクザと憲法」でカメラが追った川口和秀と山之内幸夫の足もとや奥底にあるものを記す。

 

「異様な時代」

 日本最大のヤクザ組織・六代目山口組組長・司忍のインタビューは、私の知るところ2つしかない。80年代に溝口敦によっておこなわれたものと、2011年10月に産経新聞が掲載したものである。(ちなみに山口組No.2・高山清司のインタビューは、英国人学者ピーター・B・E・ヒルによるもののみのはずで、これは「ジャパニーズ・マフィア―ヤクザと法と国家」三交社で読める)

  産経新聞のインタビューで司忍は、暴力団排除条例がひかれた現代社会を「異様な時代」と呼んでいる。

異様な時代が来たと感じている。やくざといえども、われわれもこの国の住人であり、社会の一員。昭和39年の第1次頂上作戦からこういうことをずっと経験しているが、暴力団排除条例はこれまでとは違う。われわれが法を犯して取り締まられるのは構わないが、われわれにも親がいれば子供もいる、親戚もいる、幼なじみもいる。こうした人たちとお茶を飲んだり、歓談したりするというだけでも周辺者とみなされかねないというのは、やくざは人ではないということなのだろう。http://www.sankei.com/west/news/150831/wst1508310022-n1.html

 「われわれにも親がいれば子供もいる」と家族にふれているが、子供についてはこう続ける。

 「われわれの子供は今、みんないじめにあい、差別の対象になっている。われわれに人権がないといわれているのは知っているが、家族は別ではないか。若い者たちの各家庭では子供たちが学校でいじめにあっていると聞いているが、子を持つ親としてふびんに思う。このままでは将来的に第2の同和問題になると思っている」前掲

 よくいわれるのは、暴力団組員は暴排により銀行に口座が開けないため、学校の給食費などは口座引き落としが出来ず、子供が現金で学校にもっていくことで、親がヤクザだとまわりに知られてしまい、いじめにあう云々である。

 

 また、このインタビューに、「俺自身も銃刀法違反罪で共謀共同正犯に問われた際、1審では無罪という微妙な裁判だったが、最高裁実刑判決が確定した後は速やかに服役した」とある。これは1997年、山口組傘下の中野会が山口組若頭・宅見勝の射殺事件のあとに絶縁となり、山口組と中野会とで抗争が始まろうかという中、当時若頭補佐であった司忍は、ボディガードの拳銃所持により、その共謀共同正犯で逮捕されている。司忍は最高裁まで争うが、実刑確定、六代目組長となった後に、府中刑務所に収監されている。(この産経新聞のインタビューは、その懲役からの社会復帰した半年後に行われている)

 じつは司忍と同じ日、同じ場所で、同じく若頭補佐の瀧澤孝もボディガードの拳銃不法所持の共謀共同正犯で逮捕され、現在も係争中である。この裁判は高裁と最高裁の行ったり来たりを続けており、ある実話誌は「国が勝つまで続くジャンケンに付き合わされている」との関係者のコメントを載せている。

 同年12月末も、これまた若頭補佐の桑田兼吉が司・瀧澤と同様にボディガードの拳銃不法所持の共謀共同正犯で逮捕される。取り調べにおいて、桑田兼吉の「拳銃はもつな」は反語であるとの解釈までされ、起訴。その後、最高裁実刑が確定する。この一連の逮捕や裁判については、目森一喜・斎藤三雄「司法の崩壊」現代人文社・2002で書かれていることを記しておく。(ただし文章が上手くなく、意図が取りにくい)

 ※三人の若頭補佐の身柄を取るのに適用された共謀共同正犯については、次項「山之内幸夫」で解説する。

  

 拳銃不法所持のような「犯罪」と呼べるものでなくとも、日常の些細なことで警察沙汰となる実態は、鈴木智彦「潜入ルポ ヤクザの修羅場」文春新書にある一文がわかりやすい。

 「大阪日本橋の電気街で、200万円ほどの買い物をした山口組二次団体幹部は、『ちょっとくらいまけてぇな』との言葉を『恐喝』と判断され、警察から厳重注意(中止命令の一歩手前)をうけた。山口組の某直参組長は、200万円の大金をかけて入れたインプラントの噛み合わせが悪く、『ちょっと具合が悪いんやが……』と言ったため、歯科医から警察に通報され、新聞沙汰になった。」上記・277頁

  また、昨年8月に分裂してできた神戸山口組の若頭・寺岡修は他人名義の車を使用していたことでもって10月に逮捕された。これについてtwitterで人気の猫組長(当時は「組長」)はこうツイートする。

寺岡さんが『電磁的公正証書原本不実記録』という罪名で逮捕されたのは、警察が手詰まりである証拠。使用していた車が他人名義だったというだけで、世間一般では普通にある事。これでも、警察にとっては大金星とされて点数が高い。」(2015年10月22日)https://twitter.com/6yamaguchigumi/status/657122722703511552

  ちなみに下記はこれをうけての、私の冗談ツイートである。

 「他人名義のクルマでゴルフにいく。ゴルフ帰り、料理屋で長年の知り合いに「今後もよろしく」という。 …これで3つの罪に問われてしまうのがヤクザ。https://twitter.com/urbansea/status/657130145518456833

  ゴルフは近年のヤクザ逮捕の定番で、暴力団組員である身分を隠してゴルフをやったとしての詐欺罪である。また「今後もよしろしく」は、京都の料理屋で山口組若頭・高山清司が土建業社「U」氏に発したこの一言でもって恐喝罪で逮捕・実刑となっている。

 

山之内幸夫

 こうした状況で思い出すのが、弁護士・山之内幸夫の言葉である。

 「私の信念は成熟した民主主義は、社会で嫌忌される者に対してこそ適正な法の執行を保障すべきだというものだ。今日の日本で法の執行が最も歪められている暴力団に対してこそ刑事弁護の真髄があると考えている。https://twitter.com/89356BOT/status/400654929276051456

 

 はたして、山之内幸夫とはいかなる弁護士なのか。

 1946年に生まれ、1975年、大阪弁護士会に登録。wikiには「刑事弁護を担ううち、1976年より暴力団関係者の弁護が多くなる。1984年、山口組の顧問弁護士に就任」とある。詳しくは、山之内の著書「山口組太平洋捕物帳」によると、もともと暴力団関係の事案をやるうちに、三代目山口組の本部長で小田秀組組長・小田秀臣の顧問弁護士を引きうけることになる。山口組の跡目争いにともなう分裂により、小田秀臣は引退するが、新たにうまれた四代目山口組の若頭補佐に就いた宅見勝の誘いで、山口組の顧問弁護士となる。分裂してできた一和会と山口組との山一戦争がはじまることもあって、否応なしに世間に注目されることになる。また山之内による小説「悲しきヒットマン」「シャブ極道」「鬼火」などが映画となるなど、作家としても広く知られる。

 そんな山之内が山口組顧問を辞めるのは87年、一通の投書がきっかけとなる。長野県の者が大阪弁護士会に山之内の懲戒処分を求める葉書を出し、「暴力団の弁護士は弁護士の品位を汚す」との咎で懲戒委員会にかけられる。結果50対0、すなわち一人の反対意見も出ることなく処分が決まる。それを機に顧問は辞めるが、変わることなく、山口組の弁護を続ける。

 

 また山之内は、先に書いた司・瀧澤・桑田の三人の若頭補佐を逮捕するのに適用された共謀共同正犯について、こう言っている。

 「犯罪の根拠になる事実は会話だけである。(略)会話というきわめてあいまいな事実に重い懲役の根拠を与えるのが、共謀共同正犯論の特徴なのである。会話したという事実がなかったことを立証するのはきわめて困難である。」(別冊宝島編「ヤクザという生き方」文庫版282頁)さらには拡張解釈や類推解釈の可能性をうみ、「関係者全員を正犯に放り込んで、量刑だけ適当に分けるという考え」(前掲書・285頁)であり、罪刑法定主義に反する、と。

 なお、川口和秀も、川口に絶縁処分された者が自分の刑を軽くするための供述によって、共謀共同正犯をでっち上げられ、22年にわたる監獄生活を強いられる。

 

川口和秀

 「ヤクザと憲法」のいま一人の中心人物・川口和秀は、前述のとおり、東組清勇会の二代目会長であり、本家の副組長である。(東組は全国指定暴力団21団体の一つである)

 その川口和秀や東組がドキュメンタリーに登場するのは「ヤクザと憲法」以前にもある。NHK「ドキュメント 決断」の「暴力団“離脱” その先に何が」(2014年8月14日放送)である。この番組では、東組幹部によって暴排による苦境(銀行口座や保険)など語られる。

 川口和秀がこのように取材をうけるのはなぜか。ひとつにキャッツアイ事件による長期刑の影響があろうと察する。

 キャッツアイ事件とは、1985年、東組清勇会と山口組の倉本組との抗争で、東組の組員が殺害された報復として、東組清勇会の組員が尼崎市のラウンジ「キャッツアイ」で銃撃事件を起こす。その際に流れ弾で一般女性が死亡する事件である。捜査の過程で、警察は実行犯を逮捕するのだが、その組員は別のトラブルで川口和秀に絶縁処分をうけていた。ヤクザは、警察にどつかれようが何されようが唄わない(自白しない)根性が求められる。(これを竹中正久は警察根性と呼んだ) しかし、実行犯はすで絶縁されている。警察は川口和秀の指示による組織的な犯行との絵を書き、組織のトップまで累を及ばすことを狙う。実行犯は実行犯で銃撃事件が川口の指示によるものとすることで、自分の刑を軽くできる。かくして虚偽の証言により、川口和秀は逮捕される。この事件の顛末は山平重樹「冤罪キャッツアイ事件 ヤクザであることが罪だったのか」に詳しい。(他に柳川組出身の作家・矢嶋慎一「キャッツアイ冤罪事件」もある)

 こうして身に覚えのない罪で下獄した川口和秀は、「実話時代」に書いたエッセイが評判を呼び、それがきっかけとなり、支援者とともに獄内パンフ通信「獄同塾通信」を創刊。100部からはじまった「獄同塾通信」、6年後に27号をむかえ、部数は2500に達したという。「投稿者は一般人からヤクザ、右翼、左翼の闘志等多士済済、獄同人ばかりか獄外にも及んで、身辺雑記から心境報告、抱腹絶倒のユーモアたっぷりのものからホロリとくる人情話、人生観や武勇伝の披瀝まで、中身の濃い原稿で埋まり、活気ある紙面となった。」(山平重樹・前掲書・221頁)ともある。

 出所後は「実話時報」で稲川会や住吉会、親和会など代紋違いの親分衆や元刑務官・坂本敏夫らと刑務所での暴行や医療の質の低さなどを訴える座談会をおこなうなどする。

 冤罪という不条理に直面し、また刑務所の中にあっても情報を発信し続けた体験が、ドキュメンタリーのカメラの受け入れにつながっていようか。

 

 「獄同塾通信」の寄稿者のひとりに正延哲士がいる。正延哲士はもともと高知の放送局に勤めていたのだが、後年作家となり、菅谷政雄や矢嶋長次などのヤクザ評伝などを書く。その著書のひとつに「最後の博徒」がある。これは広島ヤクザから後に菅谷政雄の舎弟となる波谷守之のヤクザ人生と冤罪事件を書いたものである。

 「最後の博徒」の書影が「ヤクザと憲法」にも出てくる。東組清勇会の組事務所の本棚に、本書がズラッと並んでいて、これらは刑務所内で読んだものを宅下げしたものである。

  

 正延哲士は山平重樹の前掲書にも出てくる。波谷の盃上の甥にあたる池澤望に頼まれ、弁護士・原田香留夫を紹介する。原田は、再審により無期懲役から無罪へと判決をひっくり返した八海事件の弁護人である。その原田は川口和秀の再審請求の最中に死去。「うちの主人は最後の最後まで、夜、川口さんの写真を抱いて、これをきれいにせんことには僕は死にきれんのや---と言ってました」(山平・前掲書・213頁)と、獄中の川口和秀のもとに原田夫人から手紙が来たという。八海事件の冤罪被害者・阿藤周平もまた、川口和秀の裁判を支援している。

 

 冤罪ついでの余談だが、「冤罪キャッツアイ事件」は「週刊実話」に連載されたものを元にしているが、この連載の少し前に、山平重樹は同じく実話誌「週刊大衆」で、袴田事件についての連載をしている。一審で無罪を確信しながら有罪判決を書いた(三人の合議制のため)熊本典道を書いたものである。

 週刊大衆で袴田事件が連載されることについて、袴田巌の姉・秀子に「あんな裸の多い雑誌に事件のことを取り上げられて」と眉をひそめながら言う者がいた。すると秀子さんは「そういう雑誌だからこそ、今まで袴田事件を知らなかった人が関心を持ってくれるんだ」と一喝したという。(尾形誠規「美談の男」鉄人社・231頁)

 

 上述のNHK「ドキュメント 決断」の「暴力団“離脱” その先に何が」では、東組のほか、ヤクザをやめた者の再就職の厳しさとその支援を扱っている。ここで香川県の再就職支援の団体が出てくるのだが、その団体を運営するのが西山俊一である。

 西山俊一はもともと菅谷政雄ひきいる菅谷組系列の組員で、組の解散により、ヤクザから足をあらい、土建業を興し、成功。そのかたわらで、NPO法人「日本青少年更生社」を設立し、不良や前科者の更生にあたっている。

 この西山俊一もまた、「獄同塾通信」の寄稿者である。

 暴排により、暴力団を追い込み、組員を脱退させるまではいいが、その後も排除されるのであれば、その者はどうするのか。カタギで食えず、ヤクザには戻れずとなれば、いよいよ窮鼠猫を噛むである。この番組は、西山俊一の活動を通じて、社会に受け皿が必要であることを訴求してくる。

 「指を欠き、刺青を入れ、前科のある者を雇うところがあるのか」60年代の第一次頂上作戦の時代から言われることだが、この暴力団側からの問いに、「ない」と答える限り、暴力団は必要悪であると社会の側が妥協することになる。

 「ヤクザと憲法」でも、川口和秀はまったく同じことを問うてくるのであるから。

 

※この項の多くは山平重樹「冤罪キャッツアイ事件」筑摩書房・2012を参考にしている。

 

東海テレビ

 最後に東海テレビである。

 「ヤクザと憲法」のディレクター・土方宏史は、2015年、公共キャンペーンスポット「戦争を、考えつづける。」でACC賞グランプリを受賞。このCMもまた、「ヤクザと憲法」と同様に、局の考査や社内行政と戦ったろうし、世間の道徳という凡庸をカメラが越えていっている。

www.youtube.com